広島地方裁判所 昭和46年(行ク)5号 決定 1971年4月12日
主文
一、「三団体連絡会議」(被爆者青年同盟、部落解放研究会連合、青年アジア研究会―代表者申立人)の昭和四六年三月二二日付広島平和記念館使用許可申請に対し、被申立人が同日なした使用許可処分を同月二五日取り消した処分の効力を停止する。
二、申立費用は、被申立人の負担とする。
理由
一、申立ての趣旨及び理由
別紙「行政処分執行停止申立書」記載のとおりであるからこれをここに引用する。
二、被申立人の意見
別紙「意見書」記載のとおりであるから、これをここに引用する。
三、当裁判所の判断
(一) 本件記録並びに疎明資料によれば「申立人は、肩書地に居住して電通共済会中国支部に職員として勤務する者であるが、被爆者青年同盟の代表者であること、右同盟は、広島市<以下略>所在の「青年社」に事務所を置き、広島市内及びその近郊に居住する被爆者及び被爆二世(被爆者を親とする者)の約三〇名で構成され、被爆問題を考え、被爆者の苦しみを広く世間に訴えて被爆者援護の充実強化を求める運動をすることを目的として昭和四五年八月六日に結成された団体であること、申立人は、昭和四六年三月六日、同じように右「青年社」に事務所を置く部落解放研究会連合、青年アジア研究会に呼びかけて三団体連絡会議を結成し、その代表者に選任され、同年四月一五、一六日の天皇来広に際し、天皇の命令に基づく戦争により被爆があつたとし、被爆問題を中心に、部落民、在日アジア人に対する差別問題等について討議するため四月一五日県民集会を開催することを企画するに至つたこと、右三団体連絡会議の事務局員は、右集会の会場を確保するため、三月一七日頃広島平和記念館に四月一五日の使用について問い合せをなし、同日の使用が可能であることを確認したうえ、三月二二日午前九時過ぎ右記念館に赴き、記念館条例第五条、同施行規則第二条に従つて、所定の使用許可申請書に、申請団体(三団体連絡会議―代表者申立人)使用日時(昭和四六年四月一五日一七時から二一時まで)、使用目的(天皇来広糾弾広島県民集会、天皇来広問題について被爆者・被爆二世を中心とする討論)等必要事項を記載して、右申請をしたこと、同館の使用許可は、広島市職務権限規程第一六条所定の特別の場合を除き同規程第一五条第三項により同館館長の専決事項とされ、同時に、同規程第二六条所定の特別の場合を除いて、同程定第二四条第三項により館長不在のときは同館主任が右使用許可の代理決裁ができるようになつていること、しかも実際の扱いとしても使用許可書に押捺する広島市長印は常時主任たるBが保管しており、館長Aが不在のときも、普通にはその帰館をまつことなく右規程第二四条第三項により主任Bが代理決裁をし、即時使用許可書に広島市長印を押捺して申請人に交付していたこと、そして、本件申請のあつた三月二二日の午前中は館長が不在であつたため、主任Bは右代理決裁の規程に基づき申立人の右申請を認めて、使用料金六、〇〇〇円(講堂使用料五、〇〇〇円、拡声器使用料一、〇〇〇円)を納入させるとともに、即時、広島市長印を押捺した被申立人名義の使用許可書(疎甲第一号証)を申立人に交付したこと、翌二三日、館長は、右の許可処分(本件許可処分という。)がなされたことを知り、申立人の申請は前記職務権限規程第一六条第四号の「その他重要又は異例に属する事項」に該当するので、上司の指示が必要であつたと判断し、広島市総務局長及び同局総務課長と協議した結果、本件許可処分は、前記Bが館長の決裁を受けることなくして行つたものであるから無効ないし違法なものであり、かつ申立人の申請は、広島平和記念館条例第五条第三、四項に該当するので使用を許可することができないことを理由に本件許可処分を取り消すことになつたこと、よつて、同月二四日夕方館長において本件許可処分を取消したい旨を、申立人に連絡するとともに、同月二五日夕方被申立人は本件許可処分を取り消し、使用料金を還付する旨申立人に通知したこと(疎甲第二号証)、申立人は右取消処分(本件取消処分という。)を不服として同年四月五日広島地方裁判所に本件取消処分の取消しを求める訴え(同裁判所同年(行ウ)第七号)を提起するとともに、本件執行停止の申立てに及んだこと」が明らかである。
(二) そこで、まず本件執行停止の申立てにつき、行政事件訴訟法第二五条にいう「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」に当るかどうかを検討する。
本件疎明資料によれば、「三団体連絡会議は、三月中頃から、婦人民主クラブ広島支部、教育を考える会、教育を考える葦の会、広島県反戦青年委員会等の諸団体に対し、四月一五日の集会の趣旨を伝えてこれに参加することを呼びかけたところ、これら諸団体もこれに呼応して動き三月一三日頃「天皇来広糾弾連絡協議会」の準備会を結成し、本件許可処分があつた三月二二日には右「天皇来広糾弾連絡協議会」を正式に発足させ、右三団体連絡会議と共同主催で四月一五日の「天皇来広糾弾広島県民集会」を開くことになつたこと、一方申立人らは三月一七日頃広島平和記念館に電話して予定日の使用が可能であることを知つた頃より増田兄弟活版所と連絡してポスター、ビラなどの印刷の準備をし、三月二二日の本件許可処分と同時に疎甲第八ないし第一一号証のポスター、ビラ、署名用紙などの印刷を正式に増田兄弟活版所に発注し、翌二三日にこれらの印刷を完了し(印刷代八万三、八〇〇円程度)、そのうち疎甲第一〇、第一一号証のビラなどは二四日から配布を始めるなど集会を開くための諸般の準備を行つていること、広島平和記念館は固定席約二〇〇席の外補助席もあるが集会当日はすくなくとも固定席一杯の参集員が予定せられるに至つたこと」が認められる。右の事実並びに前記(一)で認定したような討論集会開催の趣旨や経緯等を併せ考えると、本件取消処分により右集会を予定の日時に広島平和記念館で開くことができなくなるだけでなく、右集会の目的を達成しうる他の方法(会場を変更して予定日に行うとか、一たん延期して近日中に行うこと等)を見出すことは、時間的余裕、他の会場設備等からみて著しく困難であることが窺えるところから、結局本件取消処分は、右集会の開催自体を不可能ないし著しく困難にするものと言わなければならない。従つて、本件執行停止の申立ては、回復の困難な損害を避けるため緊急の必要に基づくものと言うべきである。
(三) 次に本案について考えるに、申立人の主張の要旨は(イ)本件取消処分は行政行為の撤回であるところ、本件の如く人民に利益を付与する行政行為を撤回するについては重大な制限があり、本件許可処分後なんら事情の変更もなく申立人の責に帰すべき事由もないのに撤回をすることは違法である、(ロ)本件の集会は広島平和記念館条例第五条各号に該当しない、(ハ)本件取消処分は憲法第一四条第二一条に違反する、というのであるところ、疎明資料を総合しても本件が「本案請求について理由がないとみえるとき」に該当するとはいえない。
なお、右(イ)に関連し、被申立人は本件許可処分は権限のない者によつてなされた無効のものであるとして、本件取消処分はその無効の宣言に過ぎないかの如く主張しているので敷衍する。
前記の如く、右許可処分がなされた三月二二日午前中は同館々長は不在であり、同館主任がその代理決裁したものであるが、右職務権限規程第二四条第三項によつてかような代理決裁は許されている。なるほど、右規程第二六条に「重要若しくは異例に属する事項」など代理決裁の許されない場合のあることが規定されており、仮りに、主任において本件申請が右に該当しないと判断したことが誤つていたとしても、右のごとき行政庁内部の権限規程(殊にその例外規定)に反していることを理由として、国民に利益を与える行政行為の無効ないし違法を行政庁が主張することは、法的安定性の見地からして許されないものと解すべく、同じように、同規程第一六条には「重要又は異例に属する事項」などについては館長も決裁に当り上級職位の指示を受けなければならないとされているところ、かりに本件申請が館長において右規程により上級職位の指示を受くべきものであつたにしろ、前段と同じ理由により、行政庁はこれが無効ないし違法を主張し得ないものである。従つて、被申立人名義でなされた本件許可処分は右の点に関していえば違法性はないというべく、同時に本件取消処分は、一応法律的には撤回に当るとみることができる。そして、本件のように、国民に利益を与える行政行為を撤回することは、相手方の義務違反など特段の事情変更がない限り原則として許されないと解されるが、本件全疎明資料によるも、右撤回を理由あらしめる特段の事情変更を認めることはできない。
(四) 本件申立てを認容することが「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある」ことを首肯させるに足りる疎明資料は見出せない。
四、結語
よつて、申立人の本件申立ては理由があるから、これを認容することとし、申立費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。
(別紙)
行政処分執行停止申立書
申立の趣旨
一、「三団体連絡会議」(被爆者青年同盟、部落解放研究会連合、青年アジア研究会)(代表者申立人土居稔)の申請にかかる昭和四六年四月一五日実施の広島平和記念館使用の集会について、被申立人のなした同年三月二二日付使用許可処分に対して、被申立人がなした同年三月二五日付取消処分の効力を、同処分取消訴訟の第一審判決があるまで停止する。
二、申立費用は被申立人の負担とする。
との判決を求める
申立の理由
一、行政処分の存在
(一) 申立人土屋は三団体連絡会議(以下、前記団体という)の代表者であるが、三月初めより、被爆者青年同盟、部落解放研究会連合、青年アジア研究会の三団体を構成団体とし、申立人を代表者とする前記団体を創設して、天皇来広問題に関する被爆者、被爆二世を中心とする討論集会を開催すべく活動を行なつてきた。しかして、その中心的活動を四月一五日の広島平和記念館(以下、記念館という)における「天皇来広糾弾広島県民集会」(以下、県民集会という)の開催に置き、他の団体、市民にその趣旨を呼びかけたところ、数多くの団体、市民が賛同し、「天皇来広糾弾連絡協議会」が結成され、同協議会と前記団体とが県民集会を共同して主催することとなつた。(疏甲第五号証参照)
(二) 他方、右決定に基いて、人的物的準備を進め、三月一六日頃、記念館に電話により四月一五日に県民集会を開催する旨申請したところ内諾を得たので、三月二二日、申立人の代人が記念館に赴き正規に許可申請を行なつたところ、即時に会場使用料六〇〇〇円と引換えに使用許可書を交付された。その際、被申立人の側からは何らの異議も示されず、ここに申立人の同記念館使用は何の妨げもないこととなつた。(疏甲第一号証参照)
然るに三月二四日、被申立人側は突如として態度を急変させ、右記念館使用許可処分を取消したい旨を申立人に連絡し、同月二五日、同日付許可取消通知書を申立人に交付した。その際、申立人らは、申立人が予納した記念館使用料六〇〇〇円を還付するとの申出を受けたが、右取消処分に納得できないので、これを拒絶した。(疏甲第二号証参照)
三月二六日、同月二九日の両日、被申立人側記念館館長及び広島市総務課長と申立人側との交渉において、被申立人側は、右取消処分の理由を縷々述べたのであるが、それは”公正な法による行政“の観点から見た場合、甚々しく常軌を逸脱しており、全く不合理なものである。(疏甲第五号証参照)
この点について詳述する。
(1) 三月二二日付許可処分は違法無効である。
(イ) 「三月二二日付許可行為は、記念館主任の越権行為である」
(ロ) 「広島市職務権限規程一六条一項四号(疏甲第四号証参照)によれば、重要又は異例に属する事項については各職位は自己の決裁事項であつても上級職位の指示を受けなければならないのに拘らず、右許可行為は上司の承認を受けていない」しかし乍ら、申立人は三月一六日頃の電話により内諾を得、更に三月二二日に許可書を交付された際に、改めて集会名、目的を告げ、誤解のないよう努力をし、被申立人側においても、その使用条件に照らして十分調査を行ない、許可書を交付したのである。本件集会が「重要又は異例に属する」というのであれば全く思想によつて差別するものであり、仮りに又「重要又は異例に属する」としても不許可にする合理的根拠は認められない。もし又、百歩譲つて、右許可行為が無効であつたにしても、かかる無効行為をなした被申立人が、みずからそれを理由として申立人に不利益を及ぼすことはできず、右取消理由は明らかにクリーン・ハンドの原則に反している。
(2) 本件集会は広島平和記念館条例五条一項三号及び四号に該当する(疏甲第三号証参照)
<1> 管理上支障があるとき(右条例五条一項三号)
(イ) 「市は天皇をお迎えする立場であり、記念館もその立場の一角を占めているので、その管理者として、これに反対する催しを記念館内で許可するのは適当でない」
(ロ) 「天皇に対して申訳ない」
(ハ) 「天皇を糾弾するということばは不穏当である」
<2> その他市長において不適当と認めるとき(右条例五条一項四号)
(イ) 「天皇は憲法上”象徴“の地位にあるのだから、憲法に従つて公共の施設では許可できない」
(ロ) 「市長の広義の政治的立場に反するから不適当である」
(ハ) 「今、法律はないが、実質上不敬罪に当る」
(ニ) 「とにかく天皇をお迎えするんだという立場、いわゆるお迎えするという立場である」
これらについていちいち追及していくと、被申立人側は、申立人らの集会が「公共の福祉に反しない」ことを認め、右取消処分は「表現の自由を抑圧するものである」ことを認めたのであるが、尚かつ、右取消処分を取消す意志は毛頭ない、と開きなおつた。後述する如く、これらの理由は全くもつてこじつけにしか過ぎなく、憲法を無視し、又は解釈を誤まり、いずれにせよ憲法を覆えすものというほかはない。
二、本件処分の違法性
(一) 実体的側面からの法律構成
(1) 思想表現の自由の保障
憲法二一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する」と規定する。表現の自由を保障する憲法二一条は単なる文章ではない。日本国憲法の全ての規定は基本的人権保障のために存在するといつてよい。すべての政府地方公共団体は、その目的を達成するためにのみ存在する。しかして、その基本的人権の中でも、本件において問題とされている表現の自由は、民主政にとつて不可欠の条件であり、いわば優越的地位を持つている。表現の自由が保障されるか否かは、その社会が民主的であるか、ファシズムであるかの区別的表徴である。即ち、民主主義社会においては、各人の思想を自由に表現せしめ、そこに形成される多数の意思によつて国政を決定する政治制度に立つているからである。まさしくホームズ判事の云う如く、真理の判定基準は「思想の市場に於て多数を占めるか否かで決定される」のである。そこにおいては、少数者といえども、思想表現については、平等に厳格な保障を受けなければならないのである。しかして、民主政にあつては少数者にこそ、現実的に思想表現の自由は保障される必要がある。ホームズ判事も云う如く「体制の憎む少数者にこそ、この自由が保障されなければならない」。しかして、自由主義者として優れたホームズの同僚であるヒユーズ判事は「少数意見は将来に対する理性の声である」と、正しい観察をなしている。このことは、日本国憲法第一条に規定する国民主権とも不可分の関係にある。すべての日本国民が国政に参加し、国政のあらゆる領域を監視する必要があるのである。民主主義者、自由主義者、コミユニスト、左翼、右翼、フアシストも、天皇制を支持する者も、それに反対する者も同じように国民としてその主権を行使する。かの日中十五年戦争においては、共産主義者、社会民主主義者、自由主義者等を非国民として迫害弾圧することを通して、忌わしい侵略戦争を遂行していつたのである。しかして、今ふたたび、被申立人は、天皇来広に反対する人々を非国民として取扱い、基本的人権の保障から除外されると主張しているのである。
行政権力は、濫用によつて、市民的権利を封殺してはならない。これを国又は地方公共団体の公共福祉用財産についてみるに、管理庁の権限の内容は、その性質に応じた方法で積極的に公衆の用に供し、その利用の調整、その利用のための維持整備をするに過ぎないから、集会のために使用許可の申請があつたときは、管理庁は、正当な理由なくしては、その申請を拒むことができない。
判例は、メーデー皇居外苑使用不許可事件について、この理を明らかにし、厚生大臣の管理権の行使は「単なる自由裁量下に委ねられた趣旨と解すべきではなく」、覊束裁量と解すべきであつて「厚生大臣が管理権の行使として本件不許可処分をした場合でも、管理権に名を藉り、実質上表現の自由又は団体行動権を制限する目的に出でた場合は勿論、管理権の適正な行使を誤まり、ために実質上これらの基本的人権を侵害したと認められうるに至つた場合には、違憲の問題が生じうる」と解している。(最高裁昭和二八年一二月二三日大法廷判決、最高裁民事判例集七巻一三号一五六一頁)更に「皇居外苑を日本労働組合総評議会主催の中央メーデーの集会のため使用許可申請したのに対し、(イ)それが国民的行事でない上、明らかに政治目的を有するものであること、(ロ)参加予定人員が多く使用時間が長いため、一般公衆の本来の使用が害され、施設が多少とも損傷される上、使用後の清掃等に相当の費用、労働を要すること、(ハ)思想的、政治的に主義主張を異にする団体の使用許可申請が競合しており、また不穏分子の混入防止を充分行ないがたいため治安を害する恐れのあることなどを理由として拒否することは、違法である。」と解している(東京高裁昭和二九年三月一八日判決。行裁例集五巻三号六五五頁)。
平和記念館は「直接公共の用に供した財産であつて、国民は、その供用された目的に従つて均しくこれを利用しうるものであり」、「公共福祉用財産をいかなる態様及び程度において国民に利用せしめるかは管理権の内容であるが、勿論その利用の許否は、その利用が公共福祉用財産の、公共の用に供せられる目的に副うものである限り、管理権者の単なる自由裁量に属するものではなく、管理権者は、当該公共福祉用財産の種類に応じ、またその規模、施設を勘案し、その公共福祉用財産としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであり、若しその行使を誤り、国民の利用を妨げるにおいては、違法たるを免れないと解さなければならない。」(前記最高裁大法廷判決。)
(2) 政治的平等の保障
憲法一四条は、法の下の平等を保障し、思想による差別を禁止している。本件取消処分は全くこの平等条項に違反することは明らかである。いうまでもなく「思想によつて差別をしてはならない」という憲法の規定は、国及び地方公共団体に対して向けられている。この規定が直接私人間に適用されるか否かはともかく、第一次的には、公の権力が、権力の及ぶ領域において、国民を均等に取扱わなければならないことを意味している。ところで、平和記念館は、広島市という地方公共団体の権力の行使される施設であること疑いない。従つて、憲法一四条からみれば、平和記念館の使用許可にあたつては、被申立人は、思想によつて差別をしてはならないのである。然るに、昭和四六年三月二六日の申立人らとA平和記念館館長との折衝において、同館長は「平和記念館は公の施設であり、公の施設では、天皇来広を糾弾するというような集会を許可することはできない」と述べている。ここにおいて、公の権力が、思想によつて国民を差別することを公然と自認していることは余りに明らかである。更に、同館長は「市は天皇をお迎えする立場であり、記念館もその立場の一角を占めているので、その管理者として、それに対して反対する催しを同館内で許可するのは適当でない。天皇に対して申し訳ない」と述べ、あまつさえ「今の法律にはないが、実質上、不敬罪に当たる」とさえ表現しているのである。
申立人らは、行政は法律に基づいて行なわれるものである(法治主義の原則)と思つていた。しかして、その法律は、国民の代表者によつて構成されていると考えられる国会が制定するものである(憲法四一条)と信じていた。勿論、明治憲法下の不敬罪に相当する法の規定は、現憲法下にあつては存在しない。にも拘らず、被申立人は、申立人らの集会を実質上不敬罪に相当するとして使用許可を撤回したのである。しかし乍ら、幻の不敬罪に足をつけ、もつて国民の集会を行なう権利を侵害するなど、言語道断であり、到底許されるべくもない。更に、同館長は「天皇をお迎えするという市長の広義の政治的立場に反するから、この集会は不適当である」とも述べ、申立人らが「それは法律上のいかなる権限に基くか?」と質問するや、「法律上の根拠はない。道徳上の配慮である」と開き直つている。しかし、いつから、いかなる理由によつて行政は法律でなく道徳に支配されるようになつたのか。現憲法が基本的人権を保障し、行政に対し、徹底したコントロールを加えているのは、明治憲法下の非人間的な人権侵害の経験に照らして、行政権の自由裁量なるものこそ、基本的自由の対立物であると知つたからにほかならない。被申立人の主張は暴論というべきである。
本年三月二九日、広島市総務課長Cは「本件三月二二日付使用許可処分は、そもそも許可さるべきではなかつた。天皇を糾弾することは、天皇を国民統合の象徴と規定した憲法に牴触するから、公共の施設ではこの種会合、討論を許可できない」とすら申立人らに述べている。天皇制に反対することが憲法違反になるとは、およそいかなる憲法学者からも聞いたことがない。今や、平和都市ヒロシマにおいて、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という明治憲法が復活しようとしているかに窺われる。広島市において、天皇の地位は国民の監視の及ばないタブーへと変質させられようとしている。被申立人にあつては、明らかに現憲法より明治憲法が優先しているのである。申立人らが館長、課長に対し、昭和二八年一二月二三日の前記最高裁判決を知つているか否やを質したところ、同館長らは「それは知らない。そういう判例などの検討はしていない。現在の市条例に基いて管理権を行使したまでである」と、最高裁大法廷の判決を無視し、憲法を否定して、市条例のみを正当化の根拠にしていることを明白に表現した。かくの如く恣意的かつ法律に基かない本件取消処分は、法律による行政の原則に明白に違背していると言わなければならない。
天皇は、もはや現人神でもなく、統治権の総攬者でもない。「その地位は国民の総意に基く」のである。このことは、天皇制の基礎そのものが主権の存する国民の批判の範囲にあることを意味するものと解さなければならない。国政の全領域に対して国民の自由な討論が保障されなければならないのである。然るところ、被申立人は「天皇をお迎えする矢先に、天皇を批判するような集会が行なわれるのは不穏当である」として、天皇制に関する国民の自由な討論を禁止したのであつた。しかも、館長は「四月一五日の集会が天皇来広に賛成するものであれば当然許可する」と明言しているのである。更に、総務課長は、市の施設の使用の許否は「討論の内容」によつて判断する旨、申立人らに述べている。ここに明白に被申立人は思想信条によつて市民を不平等に取扱つていることを自認しているのである。即ち、天皇来広に反対する集会自体を禁止しているのであり、かかる集会自体を禁止する権限など被申立人にはないといわなければならない。従つて、被申立人側が、申立人らの質問に対し、本件集会が「管理上支障があるとき」(広島平和記念館条例五条一項三号)及び「その他市長において不適当と認めるとき」(同条例五条一項四号)に該当する故に取消したとの釈明をなしたことも、全く苦しまぎれのこじつけであり、明白に失当である。つまり「管理権者として天皇来広を歓迎しているのであるから、それに反対する集会が公の施設で行なわれること自体が管理上に支障を来たす」という行政の管理権絶対視の思想であり、前記最高裁判決によつても到底是認できるところではない。被申立人が何故もつて本件集会を不適当と認めているかというに、被申立人は天皇制の賛美者であり、天皇来広歓迎という政治的立場をとつているが故に、不適当と認めるというものなのである。これは実に戦慄すべき発想である。被申立人は、広島市民の公僕であり、市民の選挙によつてその地位を保障された存在に過ぎない。然るに、あろうことか、被申立人は、公の権力を絶対化しているのみならず、それを自分の政治的立場に反対する市民を抑圧差別する絶好の武器として行使しているのである。かかる思想が民主政の敵対物であることは万人の眼に明らかである。(疏甲第七号証参照)
従つて、本件取消処分は集会自体を禁止するものであり、思想によつて差別を行なうものであり、憲法二一条、憲法一四条に明らかに反し、法律による行政の原則に反する違憲無効な行政処分というほかはない。
(二) 手続的側面からの法律構成
本件処分は、行政行為の撤回に該当する。けだし、使用許可処分には事実問題として、詐欺、錯誤等の意思表示にまつわる瑕疵は存在しない。従つて、取消し―さかのぼつて無効とすること――ではなくして、撤回―将来に向つて無いものにすること―でしかない。
ところで「行政行為の撤回については、法の趣旨、目的に照らし、次のような制限がある。(田中二郎、行政法後編、有斐閣三六一頁)………人民に権利又は利益を賦与する行政行為の撤回は、取消権(撤回権)を留保している場合(この場合においても無制限の撤回は許されぬ)の外は、原則として許されない(大正一五年六月二二日行判録七〇八頁、福岡高判昭和二八年一二月二四日行裁例集四巻一二号二九六九頁)。この場合には、行政行為の撤回は、人民の権利、利益を侵害し、法律秩序の安定を害することとなるからである。取消権の留保をしている場合においても、それが単なる「例文」に止まるときは、それを理由として、無条件の撤回をなすことは許されない。………その撤回の必要が相手方の義務違反(昭和四年七月二三日行判録九〇六頁昭和七年二月二三日行判録七三頁等)等相手方の責に帰すべき事由によつて生じた場合、及び撤回について相手方の同意のある場合(取消権の)を除いて、その自由な撤回は許されない。……」(前掲三六二頁)
本件の場合は、取消権の留保はなされていない。留保は多くの場合、相手方の同意が必要であるからである。申立人側の義務違反も、申立人側の責に帰すべき事由も何ら存在していない。
従つて、本件行政行為の撤回は無効である。
三、本件取消処分執行停止の必要性
本件は、思想表現の自由、平等原則に対する重大明白な侵犯事案であり、到底看過することを許さないものがある。
基本的人権については、公共の福祉に対する現実の明白な危険があるときに限つて必要最小限度の制約も止むを得ないと解されるところ、本件においては全くの屋内集会であつて、何らの「危険」も考えられないのである。現に、被申立人側も本件集会は「公共の福祉に反しない」と述べている。
申立人は、被申立人側に対し、再三にわたり本件の取消処分の違法なことを訴え、予測される不安があるとすれば、十分な保障を行なう用意がある旨確言する等懇篤に翻意を促したにも拘らず、被申立人はいかにしても本件取消処分の撤回に応じない。
本件取消処分は、被申立人を覊束する法の執行の名を藉りて、その実全く政治的理由によつて集会禁止が意図されたのである。
天皇の来広に対して、それに反対する意図をもつた集会は好ましくないという管理権者の全くの恣意的、政治的な判断は、管理権の適正な行使とは認めがたい。(前記最高裁判決)
国民主権は憲法上の大原則であり、天皇の地位は、国民の総意に基くと規定され、天皇制に対する批判は国民の権利として存在する。道徳上の問題とか不敬行為であるという事由をもつて申立人らの集会を禁止することは、国民の意志や憲法を超越するような神秘的神勅思想を再現する行為というほかはなく、憲法二一条に保障される集会、表現の自由を否定する合理的根拠は一切認められない。集会、表現の自由は民主政の基礎条件であり、それを制限する場合というのは真に必要止むを得ざる範囲に厳格に限定されるべきであり、被申立人らの恣意的判断で不当に抑制することは憲法に反すること明らかであつて、許されないと解すべきである。
かかる事案を黙過するならば、人権の保障は危殆に瀕する。又、本件集会は、天皇来広に対する抗議行動であり、天皇来広時の四月一五日に開催され得ることに中心的な意義が存在しており、日時の変更は、事実上、本件集会を禁止するものであり、抹殺するものである。かかる不当な制限は絶対に受容できるところではない。
申立人らは、既に本件集会についてチラシ、ポスター、署名簿などの宣伝を広く行ない、参加諸団体と共に数回の討論集会をも行ない、又当日の運営事務手続も万全の準備を整えているのであつて、今に至つて予定を変更し、又は中止することは実際上不可能であり、本件取消処分によつて生ずる損害は回復が非常に困難である。因みに、今までに要した費用は、判明しているだけでも八万七千八〇円である。(疏甲第六号各参照)
尚、従来においても本件と同様の事案について、正義を求める裁判所が、東京地裁昭和四三年五月二〇日判決、広島地裁昭和四四年九月二日決定、広島高裁昭和四四年九月三日決定、大阪高裁昭和四四年七月二一日決定等において、その執行の停止を認めていることは公知のところである。
四、結論
申立人は許可取消を受諾すること及び使用料金六〇〇〇円の還付を受けることを拒絶し、本年四月五日右平和記念館使用許可取消処分取消の訴を広島地方裁判所に提起した。
然るところ、右本案訴訟の結論を待つていたのでは、申立人らが所期の集会を実施することは不可能となり、回復の困難な損害を蒙むること明らかのため、その損害を避けるため緊急の必要があるので、本件集会の主催者たる諸団体の総括者として、又みずからも右集会に参加するものとして、本執行停止の申立に及んだ次第である。
意見書
申立ての趣旨に対する意見
本件申立てを却下する。
申立ての理由に対する意見
一 申立人が昭和四六年三月二二日広島平和記念館(以下「記念館」という。)の使用許可を申請し、記念館職員がただちに許可書を申立人に交付したこと及び昭和四六年三月二五日申立人に取消通知を行なつたことは認める。
二 右許可は、無効かつ違法である。記念館の使用許可申請があつた場合、これを許可する権限は、広島市職務権限規程第一五条によつて記念館長の専決とされているが、同規程第一六条は、各職位は、自己の決裁事項であつても、次に掲げる事項については、上級職位の指示を受けなければならない。
(一) 規定の解釈上疑義のある事項
(二) 先例になると認められる事項
(三) 政治的配慮を要すると認められる事項
(四) その他重要又は異例に属する事項
と規定せられている。
本件許可申請は、天皇来広糾弾広島県民集会を使用目的とする申請である。
憲法上日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇が行幸せられるについて、広島県植樹祭行幸啓本部長広島県知事より協力配慮の要請があり、また、本市としても天皇の行幸を市民一体で奉迎をするよう諸準備を進めており、すでに右許可申請の時点においては、行幸を御歓迎申し上げる市民感情が高まつておつたときであるが、そのときにおいて、天皇の行幸を糾弾する県民集会の開催を目的とする記念館の使用許可申請は、前記規程第一六条第四号に規定する重要又は異例に属することは当然である。
したがつて、記念館長としては、上司の指示を受けて許否を決定すべきであるのに、本件許可書の交付は、記念館長自身においてすら許可したものでなく、許可権限を有しない記念館職員が不用意に許可書を交付したもので、無効違法なものである。
なお、申立人はあらかじめ電話で内諾を得たことを主張するが、電話では単に四月一五日に使用可能か否かの問い合せがあつたにすぎない。
三 右許可は、許可の権限を有しないものの行為であるから、当然無効であるが、これが仮に権限ある者によつてその適否が判断せられたとしても、不許可とすべきものである。
広島平和記念館条例第五条ただし書は、次の各号の一に該当するときは、使用を許可しない。
(一) 公安又は風俗を害するおそれがあるとき。
(二) 建物又は附属物を破損するおそれがあるとき。
(三) 管理上支障があるとき。
(四) その他市長において不適当と認めるとき。
と規定しておる。
本件許可申請の目的である天皇来広糾弾県民集会は、天皇が広島にご到着、広島グランドホテルにご宿泊中に行なわれるものであり、また翌一六日午前中にお立寄りの慰霊碑と同一公園内において行なわれるものであることを考慮すれば、天皇のご行幸を奉迎する気持ちの市民と天皇来広を糾弾する市民との感情上のまさつは必至であり、申立人の主張するように平穏に集会を行なおうとしても、これを阻止妨害せんとする者との間に衝突抗争の生じることは必至であるから、前記条例第五条の(三)及び(四)によつて、許可すべきものではない。
申立人は、本件許可は、許可権者の自由裁量にゆだねる事項ではないことを主張するが、許可権限を有する相手方が前記のように集会の日時、集会の目的等を審査して不適当と認め、これが不許可とすることは、自由裁量権の踰越でも、また、自由裁量権の濫用でもない。
四 仮に、本件許可書が存在することによつて、いつたん許可がなされたものと認定せられる場合において、本件許可は、現時点においても、許可取消しの事由に該当する。
すなわち、本件記念館使用問題が報道せられるや、天皇行幸を奉迎する市民より使用を阻止する措置を講ずべき趣旨の激昂した電話が本市当局に対ししきりとなされ、また、一部過激なる行動をなさんとする団体は、一四日を期して広島に集結して、実力を行使しても集会を阻止する構えを示している。
このような情勢においては、前記条例第八条によつて許可を取り消しすべき合理的理由が存在する。
五 本件執行停止の必要性について
仮に本件本案訴訟が理由ありと認められる場合においても、本件において回復困難な損害を避けるため緊急の必要は存在しないから、執行停止の申立ては許されない。
すなわち、相手方は、右許可書の交付が判明するや、ただちに二四日、記念館長をして口頭により記念館を使用させない旨の通告を行ない、翌二五日には、記念館長をして申立人に面接せしめて、取消通知を交付せしめた。
この段階において、集会開催の立看板、ポスター、チラシ等による宣伝、広告はなされていなかつたもので、申立人の主張どおりとしても、現在までに要した費用は、八万七千八〇円である。
申立人は、予定を変更することは不可能であることを主張するが、予定を変更するに十分な日時をもつて取消しを行なつたのであり、執行停止を必要とする理由とはならない。